砂漠で扇風機を使うと

扇風機が欲しい。
電気代がそんなにかかるものでもないし、ほしいなら買えばええやん、
っていう話だが、
冬になると邪魔くさいし、耐えられない暑さを経験したことがないので
今ひとつ必要性に乏しく感じられる。
でもあったらいいな。
なんて考えつつ、
砂漠では扇風機は涼しくない、という話を思い出した。
これは、砂漠のような極度の乾燥地帯では、
汗をかいても瞬時に蒸発するために、
汗の気化熱を利用して涼しさを得る扇風機は役に立たないという理屈に基づいた話。
実際はどうなのかわからないが。
でも砂漠では本当に汗をかく感覚がないらしいから、
扇風機は普及してないのかもしれない。
一部では熱風が来るから涼しくないんじゃない?というのもあるけど、
その理論だったら36度の肌に36度の風を送っている真夏の日本でも涼しくないのでは?
だから違うと思われ。
扇風機の代わりによくうちわをパタパタやっているのだが、
中学生くらいの時に力学的エネルギー保存則を習ったばかりのころは
うちわをあおぐエネルギーはうちわが風を送り出すエネルギーなんだから、
余計に発熱した分を打ち消すだけで意味がないのでは?
とか考えていたけど、今はこれは違うと思う。
どういう計算になるか知らないが、
風にあたって奪われる気化熱のほうが大きいのだと思われる。
一度風というエネルギーに変換されるので私にはうまく理解しきれないのだが、
テコの原理をうまく応用したすばらしい代物なのかもしれない。
現実に、涼しく感じるし。
今気づいたのだが、こうやって扇風機やうちわの原理について考えている方が
うちわをあおぐよりよっぽどエネルギー消費が激しいと思われるのだ。
人体でもっともエネルギー消費が多いのは脳みそ。
夏を乗り切るには頭を使わないことがイチバンなのだ。
夏はややこしい話はなしにする方向で行こうかな……

全国的には今日が七夕

全国的には7月7日の今日が七夕。
五節句の一つで、一般的には織姫と彦星が天の川をわたって一年ぶりに会える日だそうな。
北海道や仙台とかの七夕が8月7日であるのは有名な話。
月の満ち欠けを基準にしている旧暦と、公転を基準にしている新暦では
一日の長さが違う他、
旧暦は年の始まる一月が今よりも一ヶ月くらい遅れていた。中国みたいな感じ。
新暦と旧暦の切り替えの時に、
新暦にならって日付ごと行事の時期をずらした地域と、
行事の行われる時期にふさわしい季節感を維持するために一ヶ月日付を遅らせた
(つまり旧暦の7月7日頃に合わせた)地域があったことで
地域での行事の時期に違いが生じた。
一年の長さはもちろん変わらないので、
季節的な意味で昔と同じような雰囲気の七夕ができるのは8月7日ということになる。
日本の信仰と外来の伝説が結びついて七夕として定着した、というのが定説。
厚かましいなと思ってしまうのが、短冊に願い事を書くとかいうあれ。
昔の遊びからきたものらしいが、今の感覚では二人の幸せにあやかろうっていうことなのか。
小さい時はよくやっていたけど、
プレゼントをサンタさんに頼む時ほど期待できないことがわかってからやめた。
願掛けとかいうのを子どもにやらせるのもどうなのかね。
どうでもいい話だが、去年お母様の勤め先の保育園で、
3歳児のお部屋に飾られた短冊の中に
「4さいになれますように」って書かれていた短冊があったのを未だに思い出す。
伝説に沿って星座を解釈すると、
白鳥座がなぜかカササギに置き換えられていて、天の川に橋をかけて、
わし座のアルタイルと琴座のベガがそれをわたって出会う。
らしい。
星がそんな一晩限定で大移動をするわけはなく、
そもそもベガとアルタイルは15光年とか16光年離れてるそうな。
壮絶な遠距離恋愛である。
しかもプラネタリウムで聞いた話では、この二つの星は年々遠ざかっているそうだ。
悲恋ですな。
ついでの話だが、白鳥座はノーザンクロスとも呼ばれる星座だが、
この星座のデネブという星は二つの星よりもはるか遠くに位置する。
二人のために橋をかけるには
二人の100倍以上の速度で七夕の夜に移動しなくてはならない。
SFちっくな妄想だが、白鳥座のそばにブラックホールがあるので、
なんとかワープみたいな感じでこれを利用できないかと思って距離を調べてみたが、
このブラックホールは太陽系から6000光年離れているらしい。
ベガとアルタイルがブラックホールを活用するには、
お互いの距離の何百倍もの距離を移動してブラックホールまで行かなければならない。
そもそも出口が決まらないし。
ブラックホールはただの星であって入口じゃないし。
時間の流れは変わっても空間を移動できる説明にはならないし。
だめだー。
ホワイトホールとつながっている的な発見を誰かしてくれないものか。
というわけで、七夕伝説のざっくりとした科学的&SF的解説でした。
天気がいいのかどうかは知らないけど、今日天気が悪くて会えなかったら
再会は8月の七夕に延期ということでどうですか?

魚肉ソーセージの色

魚肉ソーセージをもふもふ食べながら、
なんでこの食料はこんなエロいんだとか考えていた。
たぶん食感と色がそう思わせるんだろうけど。
ということで、久しぶりにブログを更新したかと思えば、
魚肉ソーセージの色について。
周りのフィルムのオレンジ色が品質を保つためのものだというのは
有名な話だが、
わざわざ中身までピンクにせんでも、と思っていた。
調べてみると、魚のすり身はそのまま加工してしまうと
薄茶色になるらしく、赤を入れることでおいしそうに見せているんだと。
肉のソーセージのように肉っぽさを出すため、という意味もあるようだ。
肉っぽさと言われてエロさに納得なのだが。
それだけで普通に納得してしまったので、
ついでに食べたことはないのだが、赤いウィンナーについて。
タコさんとかにするあれ。
これも昔ウィンナーがおいしくなさそうな色をしていたために
見た目をよくするためにつけたそうだ。
お弁当に入っているとたしかに鮮やかに見えていいけど、
それだけを食卓に並べようとはあまり思わない。
今でも売っているのを見かけるけど、あれ売れるのかな?
私だったら子どもに食べさせようとは思わないけど。
色って言えば、い・ろ・は・すっていうジュースがある。
水もあるけど、飲んだことはない。
ペットボトルがおもしろいっていうことで飲んでみたけど、
りんごとかみかんとか、色が付いてないから不思議な感じだった。
たしかに香りとかエキスだけなら、もともとは色はついていないのかな?
着色料入れないあたり、そのへんもエコってことなのか。
水だと思って飲めば、水に甘い味がついていてなんだかお得、
って感じもするけど、
ジュースだと思って飲むと、色が付いてないからか味も物足りなく感じて
あれって思う。
色って意外に重要なんだと思った。
そこで考えていたんだけど、ペットボトルは中身が見えることが多いし、
大きな紙パックも別の容器に注ぐことを前提にしているから
無理かもしれないけど、
ストローで飲むタイプの紙パックのジュースは、
色がついていることが逆に無駄に思える。
見ないし。
でも、着色料が保存料を兼任していたら難しいのかな。
うーん。