銀歯でアルミホイルを噛むと……

銀歯でアルミホイルを噛むと、ぐにゃっていうか、なんか変な感じになる。
なんでそんなことを知っているのかわからないが、
どっかで経験したんだろう。
銀歯がある人にしか絶対わからない感覚だと前々から思っていたのだが、
どういうことが起きているのか知らなかった。
1月のいつかの道新で、「ガルバニック電流」が紹介されていた。
ガルバニー電流とかいうらしく、イタリアのガルバニーさんが発見したらしい。
これは美容の分野で聞いたことのあるような名前で、
肌の引き締めとたるみを軽減するとか、エステでも使われている。
私は歯の方に興味があるので、歯の話題にする。
アルミホイルを銀歯で噛むと、両者のあいだに電流が流れる。
異種金属間で電流が流れるということらしい。
銀歯は金銀パラジウム合金という金属で、ニッケルクロム合金とともに
歯に使える金属として保険の適用される金属だ。
保険の話なんだけど、
私は数年前から6番前の第1大臼歯に銀歯が入っている。
基本的には奥歯のかぶせ物は5番目までしか白い色に保険が効かないとか。
普通に暮らしている時に見える部分じゃないし、
私は銀歯もいいかなと思ったので特に気にはしなかったが、
審美の観点からも銀歯ってあまり入れたくない人も多いんじゃないかな、
とか思う。
白いかぶせものはほとんど金属ではないのでガルバニー電流は起きない。
銀歯の複数ある人の中には口腔内で、金属の違う銀歯どうしでガルバニー電流が発生して困っているという人もいるらしい。
金属の味がしたり、痛みがあったり、
イオンが発生するせいで金属アレルギーを起こしたりと、
問題が起こることもある。
なるべく銀歯は増やさないほうがいい、ということらしい。
そのまえに虫歯になるな、って話だけど。
ガルバニック電流の話でした(*≧∀≦*)

柑橘類の食べ方~

最近の朝は「3、2、1」のカウントで起きる飛鳥ねね子です。
寒いからというより、布団が気持ちよすぎる。。。
この前、ポン柑を買った。
この時期は普通のみかん、ポン柑、いよかん、その他いろいろと
オレンジ色の球体が美味しい時期なんだけど、
この時期くらいしか食べないので食べ方をしょっちゅう忘れる。
外の皮をむいて、1房甘皮ごと食べてみて、
ようやく種が入っているとか皮が苦いとか気づくわけだが、
とくに甘皮を剥かなければならないものは手が汚れるし、最初に気づきたい。
ということでまとめてみた。
まずみかん。
基本的には甘皮が薄いし種も入っていないので食べやすい。
ポンカンは、私は甘皮ごと食べる。
種が入っていて甘皮も少し硬いので剥く人もいる。
私は種は口に入れてから出す派です。
いよかんは甘皮も剥いて食べる人が多いみたい。
私も剥くほうが多い。多いっていうのはたまにめんどくさくてそのまま食べる。
剥くときは全部お皿に剥いておいて後でパクパク食べることが多いけど、
よく考えればお皿が無駄なので剥いたそばから食べたほうがいいのかも、とか。
八朔は外の皮が堅いイメージ。
無理やり手で剥こうとして中身を潰した覚えがある。
剥きにくそうだったら包丁を使ったほうがいいかもです。
甘皮は背中から内側に向けて半分にするつもりで切り込みを入れて
ぱかっと開いて食べる。種が取りやすいし身もくずれにくい。
調べたら時期がまだ先みたいだったけどデコポンっていうのもある。
祖母が好きで春休みに家に遊びに行ったらよく食べさせてくれるんだけど、
皮をむいてそのまま食べる。種も入っていることがある。
これから食べる機会も多いと思うので参考にしてみてください。
ところで柑橘の皮のむき方なんだけど、
私はヘタの方から剥くのだけれど、周りの人間はお尻から剥く人が多い。
前にいた下宿で愛媛出身の子が
「一般人はヘタから剥く」
と言っていたけど、実際はどっちから剥く人が多いんだろう。
確かにお尻の方が剥きやすいが、
ヘタから剥いたほうが白い紐みたいなやつもベリベリと剥ける気がするんだけど。
気のせいなのか?
にしても自分で買うには少々高い。
見切り品のいよかんが6個で198円で売られていたことがあって、
安いと思って買ったのはいいが、
見切り品がどのくらいもつのか見当もつかなかったので
毎食ごとに食べて2日で消費した。
ちなみにまだ十分美味しいのが多かったけど、
たまにスカスカになっているのもあった。
いっぱい食べたし新陳代謝よくなるといいな~。

人格の同一性

人格の同一性についてたまに考える。
SFが好きなせいもあるが、自分が本当に自分のもので、ただ一つのものなのか、
ということが気になることがある。
最近、去年の哲学の授業で紹介された
グレッグ・イーガンの「プランク・ダイブ」という本を見つけた。
短編ばかりのSF小説なのだが、その中の「エキストラ」という作品が取り上げられた。
脳の大部分を損傷して意思がないと思われている自分にそっくりの生き物に
脳だけを移植することをするとどうなるか、というテーマだ。
これはただの小説だが、哲学として考えるととても深い。
もちろん答えはない。
そんな簡単に分かるなら、古くから議論されることではないし。
人格は脳にあるもので、脳さえ存在すれば、その人はその人であり続けるのか?
体はいっさい関係のない、ただの器なのか?
たとえば自分の体の細胞すべてをトレースできる技術が生まれたとして、
その情報を元に、新しい物質で新しい自分を作ることができるとしたら、
古い体と新しい体のどちらが本当の自分なのか?
新しい体が、自分が本人だといったとしても、
トレース元のオリジナルだって、自分が自分ではないとは言えない。
自分が二人になるというのはありえるのか?
一卵性双生児はどうなのか。
一卵性双生児は自然に誕生したクローンで、DNA配列は基本的に同じだ。
生まれてからは、運動や食べ物など全く同じように育つことは不可能だし、
DNAがどこで損傷されるかもわからないので違う人格で間違いないと思うが、
では分裂した直後は同じ人間だと考えられるのか?
私は双子になったことがないので一生経験できないが、
東京だかの教育大で双子の研究をしているという話も聞いたことがある。
すごく気になる。
双子の例を見ても、自分が自分だというには、
DNA配列はあまり意味がないように感じる。
自己は神経にあるという説もある。
はたまた免疫系であるという説もある。
心臓移植があるのだから、心臓に自分の意識があるわけではないと思うけど。
答えがないので、なぞなぞのように終わるのだが、
私はこの場所で、外界を認識している自分が自分だと思う。
パラレルワールドがあって、
もうひとりの自分が自分と同じ景色を見て同じことをしていると言われたら、
もうどっちも自分でいいじゃん、ってなるけど。