人格の同一性

人格の同一性についてたまに考える。
SFが好きなせいもあるが、自分が本当に自分のもので、ただ一つのものなのか、
ということが気になることがある。
最近、去年の哲学の授業で紹介された
グレッグ・イーガンの「プランク・ダイブ」という本を見つけた。
短編ばかりのSF小説なのだが、その中の「エキストラ」という作品が取り上げられた。
脳の大部分を損傷して意思がないと思われている自分にそっくりの生き物に
脳だけを移植することをするとどうなるか、というテーマだ。
これはただの小説だが、哲学として考えるととても深い。
もちろん答えはない。
そんな簡単に分かるなら、古くから議論されることではないし。
人格は脳にあるもので、脳さえ存在すれば、その人はその人であり続けるのか?
体はいっさい関係のない、ただの器なのか?
たとえば自分の体の細胞すべてをトレースできる技術が生まれたとして、
その情報を元に、新しい物質で新しい自分を作ることができるとしたら、
古い体と新しい体のどちらが本当の自分なのか?
新しい体が、自分が本人だといったとしても、
トレース元のオリジナルだって、自分が自分ではないとは言えない。
自分が二人になるというのはありえるのか?
一卵性双生児はどうなのか。
一卵性双生児は自然に誕生したクローンで、DNA配列は基本的に同じだ。
生まれてからは、運動や食べ物など全く同じように育つことは不可能だし、
DNAがどこで損傷されるかもわからないので違う人格で間違いないと思うが、
では分裂した直後は同じ人間だと考えられるのか?
私は双子になったことがないので一生経験できないが、
東京だかの教育大で双子の研究をしているという話も聞いたことがある。
すごく気になる。
双子の例を見ても、自分が自分だというには、
DNA配列はあまり意味がないように感じる。
自己は神経にあるという説もある。
はたまた免疫系であるという説もある。
心臓移植があるのだから、心臓に自分の意識があるわけではないと思うけど。
答えがないので、なぞなぞのように終わるのだが、
私はこの場所で、外界を認識している自分が自分だと思う。
パラレルワールドがあって、
もうひとりの自分が自分と同じ景色を見て同じことをしていると言われたら、
もうどっちも自分でいいじゃん、ってなるけど。

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